朝挽もつ焼き・鉄板焼そば お値段以上の大衆居酒屋 大金星

大金星誕生物語

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酒井オーナー自社ブランド店オープン、それは今から27年前、私が29才で脱サラをした時からの夢でした。最初は何もわからないこともあり、あるファーストフードのフランチャイズに加盟し、オーナー店長としてのスタートがその第一歩でした。そして10年間必死で働き、やっと返済が終わってみると私の歳は40歳に届くまでになっていました。
とにかく1日の労働時間が15~16時間、休みは年間2~3日、返済して残った金額は15~20万円。それが私の月給でした。

世の中の厳しさ、経営の難しさを思い知らされた、今思うと大変貴重な10年間でした。そんな時、たまたま牛角創業者である西山知義氏と出会い、その縁で千葉県浦安の地に記念すべきフランチャイズ1号店として牛角浦安店をオープンすることになったのです。
当時は牛角なんて、海のものとも山のものともわからない焼き肉屋で、誰も加盟しようなんて思いません。しかしその1号店からわずか15~16年で国内店舗数600店以上、その他アメリカや東南アジアにも進出するような一大チェーンに発展しようとは、その時は露ほども思いませんでした。
それに伴い、私の会社も順調に発展し、そしていよいよ昔からの夢だった自社業態開発に乗り出すことになったのです。今から6年前のことでした。

しかし、やってみるとこれが散々だったのです。
最初はライスバーガーとホットドッグをメインにしたファーストフード店、その名も“ホットオニーズカフェ”。2年間の研究開発の末、世に送り出した自信作でした。
これがなんと毎月100万円の赤字、あっという間に累積赤字が1000万円を超え、自信が不安に、希望が絶望に変わっていくのを肌で感じるような有り様。まさに自社ブランドの成功の難しさを実感させられた大怪我経験となってしまったのです。

でも私は諦めませんでした。そんな痛手にもめげず、今度は新鮮な生で食べられる豚肉をメインとした、その名も“もつ焼どんたく”をオープンさせたのです。しかしこれも月商200万円そこそこで、どんなにブラッシュアップしても、どんなに改善しても、どうしても200万円の壁を越えられず、頭打ち状態。そんな暗中模索の中、天の恵みかオーナー仲間の紹介で、中村悌二氏と出会うことができたのです。
中村氏は業界では有名な飲食トータルプロデューサー、繁盛店請負人という異名を持つような、まさに天才プロデューサー、ただしちょっと気難しい、これが中村氏の風評でした。この中村氏の性格と私の性格がなぜかフィットして、迷わず“もつ焼どんたく”のコンサルタントをお願いしたところ、快く引き受けてくれたのです。その理由が面白く、なんと“酒井さん、ツイていそうだから”だそうです。
そしてそれから本格的挑戦が始まっていくとは、その時は知る由もありませんでした。

店名も“どんたく”から“大金星”に改名、商品もすべて手作り感溢れる本物志向。以前、冷凍だった肉類も全て冷蔵にし、品数も増やし、とにかく中村氏の完璧さは全てに及び妥協は絶対に許さない。これが繁盛店請負人というすごさだということを、心の底までたたき込まされるような、そんな徹底教育でした。ついていくのが精一杯で、従業員は毎日睡眠時間4~5時間のハードスケジュール。そんな試練を皆必死で耐えてくれ、平成21年1月、念願の大金星1号店が田町の地に誕生したわけであります。
これが一躍、田町の人気店となり大ヒット。雑誌にも取り上げられるほどの繁盛店に成長していったわけです。
そしてその年の8月、2号店として神保町にオープン。
1階10坪、2階10坪という小さな店にも関わらず、オープン半年後にはお客様が入りきれないほどの繁盛店に成長していきました。
平成23年6月には3号店として浦安店がオープン。これもまた最初は苦戦したものの、徐々にリピーターさんが増え、現在は浦安の人気店に成長しました。3店舗とも昨年対比105~110%という順調な伸びを記録しております。

今、私はこう思っています。
自分が牛角で夢をつかんだように、やる気のある人に“大金星”で夢をつかんでもらいたい。そしてその想いから、“本格的のれん分け制度”を導入することを考えました。
中村悌二氏とはチームを組んでいるので、今後もメニュー開発等、いろいろサポートしていただきます。

やる気のあるあなたのご連絡を心よりお待ちしております。
代表取締役 酒井敏

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